火保図

先月末、母方の祖母が2ヶ月あまりの入院の後亡くなった。98歳。年齢的には大往生ではあるが、コロナ禍の中、面会すらままならず寂しい思いをさせてしまったのではないかと母も心残りの最期であった。
連絡がありPCR検査を受け、翌朝の新幹線で葬儀に向かう。帰郷自体2年ぶりか。駅から直接斎場に向かう。似た名前の斎場が立ち並んでおり(後から聞くともともと同じ会社が何代か前に分かれて名前は同じだが全くの別法人として営業しているとのこと)あっちでもないこっちでもないと斎場前に張り出された名前を頼りになんとかたどり着く。タクシーの運転手さんが優しい方で助かった。
両親と叔父夫婦、私のみの参列する一日葬。初七日まで済ませ早々に帰宅。
祖母は東京生まれ。新宿区(牛込区余丁町の地所を賃借に出して一家は世田谷区松原に住んでいたそう。戦争のとき一家で疎開してそのまま東京に戻ることなく生涯を閉じることになった。

母が「余丁町の地所は600坪もあったそうだから地図に名前が乗っているんじゃないか」というので、興味があり調べて見ることにした。
昔の地図について調べると「火災保険特殊地図」、通称「火保図(かほず)」というのが最も詳細な地図らしい。土曜日に新宿区中央図書館に向かう。
母校の大学の近くにあるが初めての訪問。山手線内なのに空白地帯のような何もない、時代から取り残されたような場所だ。
司書さんにお願いするとすぐに受付の台の下から出してきてくれる。後からわかることなのだが火保図というのはよく知られた資料で借りる人も多いらしい。
早速、机に移動し開いてみる。いよいよ御対面かとドキドキしながら資料をめくっていく。
と、なぜか牛込区戦前は44枚セットのはずなのに43枚しかない。なんと肝心の余丁町が抜けているのだ!
よりによって目的の地図がないとは。何度も確認するがやはり、無い。
何という運命のいたずら。しかし、人生とはそうゆうものなのかもしれない。
司書さんに話を聞くと多分10年前に購入した時点ですでになかったのだろうとのこと。東京都立中央図書館にならあるかもしれないとのことだった。
それならばと広尾に向かうが、中央図書館のホームページを見ると現在は入館が予約制となっておりすでに当日は予約が埋まっていた。
翌日の日曜日は予約が取れたのでその日はそのまま帰宅。幸い有栖川公園は自宅からは歩いて20分もかからない。

日曜日、朝から東京都立中央図書館へ。
こちらでも司書さんに大変お世話になったが、結局同じであった。No.39余丁町はない。
この地図はこの地図を作ったご本人である沼尻さんという方から寄贈されたものらしいのだが、恐らくその時点で失われていたと思われる。
火保図は、戦時中には憲兵さんに見つかると燃やされたという話もあり、残すこと自体大変な苦労があったと想像する。
が、個人的には残念な結果であった。

結局、寛永年間の古地図に「このあたり四丁町(後に余丁町と名前が変わる)という」という記述があり、その周辺に母方の名字の家がいくつかあることは確認できたが、それが本当に祖先の家なのかは確認していない。
これも後からわかることなのだが、この寛永年間の古地図は国立国会図書館のホームページで見ることができた。

codh.rois.ac.jp

昔の電話帳も見られることを知った。
https://www.library.city.chuo.tokyo.jp/images/upload/059_su_01.pdf

この先に進むには戸籍をたどるしかないが母にはその気はないようだ。